グローバル化
鳥取の境港は、大きな川のような境水道を挟んで、島根県に面した土地だ。
昭和の初め頃の話だが、境港に住んでいる人からすると、すぐ近くではあるが、出雲国の人はどこか鳥取の人間とは違う空気を纏っていたそうだ。
昔はこういう風に、山一つ、一つ隔てた向こう側には違う文化や風習があり、全く別の世界という感覚があったらしい。
グローバル化、という言葉があるが、この言葉が生まれた頃というのは、こうしたそれぞれの土地でそれぞれの世界があり、独自の文化が無限に存在した。
そうしたそれぞれの文化や風習を持つ国の行き来をしやすくして、それぞれの良いところを吸収し合い、高め合うというのがグローバル化の理念だった。
しかしグローバル化が圧倒的に進んだ現在では、こうしたそれぞれの文化というのは存在しなかなってきている。
あるのは画一化され、合理化された文明社会だ。
僕の感覚では、先に話したような「それぞれの文化や風習を持った社会」ということすら意識されていない気がする。
昔は山一つ、川一つ隔てた向こう側には、別の文化や風習を持つ別の世界があった。
今は、水平線のはるか彼方の国に、同じコンビニやファーストフードが建つ。
どちらが良いか、というのは最も危険な考えである。
ただ、今は別の世界を見てみたいと思って海の果てを旅しても見つからないが、かつては山一つ越えたところにそれがあったということだ。