オリジナルなのかヘンなだけか 個性の話
個性がある、という時に2つあると思う。
特にアーティストとか、表現者と呼ばれる人は、この個性というモノがないとあまり評価されない。
パクリ、というのはアーティストの世界ではタブーであるし、模倣するのであってもなんらかのオリジナルなものを加えて新しいものとして昇華されてないと表現とは呼べない。
まぁそれはそれとして、最初に言ったように個性的というのを考える時に2つあって、オリジナルなのか、ヘンなだけなのかというものである。
ヘンなだけのものが個性的だとか、アートだとか言って評価されてると違和感を覚える。
ヘンなものというのはヘンなものであって、オリジナルでも個性的なものでもない。
ヘンなヤツというのはただのヘンなヤツなのだ。
個性的な人とは似て非なるものである。
では、オリジナルで個性的というのはどんな人、モノのことを言うのか。
あくまでも個人的な意見だが、それは自然かどうか、ということに他ならない。
例えば小鹿田焼という焼きものがある。
非常に特徴があり、オリジナルなものであるが、決してヘンなものではない。
井上陽水という人がいる。
圧倒的に個性的な歌、オリジナルな存在だ。
しかし決してヘンではない。
岡本太郎という人がいた。
もう、オリジナルという言葉でも表せないくらいに個性的だ。
しかし決してヘンではない…だろうか?
岡本太郎はヘンな人ではない、のだろうか?
ヘンな人、なのだろうか…?
少々乱暴ではあるが、ここに一つの境界線がある。
僕の基準を持ってすると、岡本太郎はヘンではない。
しかし世の中の多くの人は岡本太郎をヘンな人だ、と思うだろう。
それこそが、ヘンなだけなのに個性的でオリジナルだとか思ったり、個性的でオリジナルな人なのにヘンな人だとバカにしたりと、勘違いしてしまうことの分かりやすい例だ。
ヘン、というのはオカシイ、変わってる、自然じゃないということだ。
オリジナル、というのは他にない強みがある、他にはない良さがあるということだ。
つまりヘンというのは、既にあるものの少しオカシイもの=弱いものであり、オリジナルというのは他にない強み=強いものだ。
ヘンなモノは、オリジナルなものには勝てないということであり、ヘンなのであれば正しく直す方が強くなるし、オリジナルなのであれば、正しく直すということを意識すると逆に弱くなる。
この話は単純な話だが、理解するのは簡単ではないし、説明もムズカシイ。
感覚的なものに近いことでもある。
しかし
ヘンなだけか、オリジナルなのか。
弱いのか、強いのか。
「…もしかすると、今まで見ていた世界は逆なのかもしれない」
そんな革命的視点を開くキーになる考え方だと思う
炎上についての考察 〜ファイヤープレイス〜
個人の時代である。
SNSを通して、YouTubeの動画コンテンツを通して個人が発信し、自分をブランディングする時代になった。
ブログ→インスタ(写真)→YouTube(動画)と流行りは移って来ていて、これはネット環境が高速・大容量化してることに関連している。
次の流行りはライブ配信(生中継)になるだろう。
今でも個人でライブ配信はできるが、5G環境が整えば圧倒的に高品質のライブ配信が可能になるし、電子決済、仮想通貨によるマネー革命が進めば投げ銭方式により新しい稼ぎ方がさらにしやすくなる。
インフルエンサーという言葉は、某アイドルの曲にもなったほどだが、今後そういうものを目指す人はさらに増えて、一種の働き方として一般化していくだろう。
そこで気になるのが、炎上である。
確かにSNSなどのネット媒体で発信を続け、フォロワーを2万人など付ければ大きな影響力を持つことが出来るが、応援してくれるファンばかりではなく、目立てば目立つほど何かあったら批判してやろう、というような監視者も多く集まってくる。
批判されたり、誹謗中傷されたり、ネットリンチのようなことが起こるリスクが常にあるし、しかしそんなことを気にしていると無難な発信しか出来なくなってしまうし、例えいくら気をつけていても変な人はいるものだし全く批判されないということはあり得ない。
大きなチャンスがありながら、常に炎上のリスクがあるのだ。
普通の神経を持った人ならまずこう考えるだろう。
さて、どうしたものか。
しかし考えてみると、世の中には信じられないほどの批判にさらされながら、それをものともせずに太々しく炎上しそうな発信を続ける人というのが存在する。
例えばホリエモンなんかがその例だ。
特異なように思えるが、これは思考を変えることで意外と簡単に炎上をものともしなくなれる。
説明すると、人はある出来事が起こった時に、思考のフィルターを通して意味を理解し、感情が起こる。
批判される(出来事)×批判されることは恐ろしいことだ(思考のフィルター)=恐怖(感情)という具合。
思考のフィルターの部分が、例えばこんな風に変わることがある
「炎上や批判されることは注目を集めるチャンスであり、おいしい」「考えてみれば批判されたところで殴られるわけでもないし痛くも痒くもねぇや」「そう考えてみれば、ネットで打ち込んだ一言でたくさんの人が反応するのはおもしろいな」「わざと炎上起こしてみようか、例えばこの言葉をこういう風に入力すれば、このぐらいの炎上が…」「思った通り!人の反応見るのはおもしろいな」「炎上おもしろいな。反応してくれることに感謝したいくらいだ」
ここまでくると行き過ぎの感もあるが、捉え方次第という話。
これからの時代、ネットで発信することが主流になり、またネットでの批判がなくならない以上、こういう風に思考は変わっていくだろう。
どんなに批判や誹謗中傷の言葉をネット上で浴びたからと言って、これからの社会で個人を発信しないでいる、フォロワーがいないことは負けを意味するようになるかもしれないのだから(若者にとって、そして時代の価値観は若者によって作られてきた)。
デジタルネイティブと呼ばれる新しい世代は、批判の言葉をいくら受けても当たり前のものとして平気な顔をするようになるだろうし、もちろん自分もネット上で攻撃や批判をするようになる、それが当たり前になる。
リアルな世界では昔より圧倒的に治安がよくなり、パワハラなんかも無くなってきたが、ネット上の世界ではこれからますます荒廃していくだろう。
と、まぁこれは世の中の動きを見ていて、総合的に考えると今後はこうなっていくだろう、という僕の勝手な考察である。
しかしそうなっていく可能性はかなり高いと思う。
そんな世の中でどう生きていけば良いのだろうか?
そんなことを考える最近である。
キッシーの政治力
皆さんご存知の通り、自民党の総裁選が行われているところである。
菅さんが次期総裁=総理だと言われているが、最も地味で、目立ってないと言われているのが岸田氏だ。
そのせいか知らないが、岸田氏自ら記者団を集めて「キッシーと呼んで」などと話し、ツイッターで ♯キッシー のタグを付けて投稿を繰り返していることをご存知だろうか。
私にはコレがツボだった。
まんまと彼の戦略にハマり、氏を見る度に「キッシーだ」と思って意識するようになってしまった。
ところで氏を見ると半沢のあのキャラクターが思い浮かぶ。
目下の敵、木本常務である。
どうだろう、キッシーに似ていないだろうか。
奇しくも「キ」で始まるところも同じである。
↑「キッシー」こと岸田氏
奇妙な「キッシー」アピールのせいで、どういうわけか岸田氏が半沢のキャラクターに見えて仕方がない。
まぁしかし選挙は覚えてもらってナンボ。
やはりキッシーは一流の政治家ということなのだろう。
日清 じゃぱん❤︎ぬーどる(抹茶)を食す!
ティーリー!
皆さまコンニチハ。
ウルトラボーイ酒本です。
キャッチーというより、もはや前衛的なCMで知られる日清から じゃぱん❤︎ぬーどる なるモノが発売されていると知り、食してみました。
パッケージからして、なかなかの攻めっぷり。
パッと見では外人が喜びそうな日本風イラストが描かれているな〜という感じですが
雷神さまがスニーカー履いてたり
芸妓のカンザシが寿司!
だったりで、クレイジーな感じが…
そして「抹茶」のロゴとカラーが、いやがおうにも
「…うまいんかコレ?」
という興味を惹きつけます。
…🐈
食します。
「…ッッ‼︎
これは…
うまい‼︎‼︎
うますぎる!
やばい」
と気付いたらこの状態。
写真撮るのも忘れ、半分以上食ってしまいました。
抹茶と銘打っているものの、鶏白湯の味が強くて抹茶は「そういや抹茶やな」という感じで後からほのかに味がする的な感じで、個人的にはシーフードよりよっぽど旨く、もうレギュラーにしてもいいんじゃねーかというお味でした。
やるじゃない日清。
期間限定のじゃぱん❤︎ぬーどる、皆さまもお試しあれ。
仕事じゃなかったら…
半年ほど前のことになるが、電車で大学生くらいの子が「仕事じゃなかったらあり得へんけど、仕事やしまだ耐えられる」という話をしていて、ハッとさせられた事がある。
この「仕事じゃなかったら」という感覚、どこまで残ってるかな、と。
マフラー/羊文學
京都の南山城村に月ヶ瀬という場所がある。
伊賀上野からの帰り道、月ヶ瀬ダムを通りがかった時にカー・ステレオで流していたSpotifyのランダム・プレイリストから流れてきたのがこの曲だった。
ダムの湖面に映った月はちょうど満月に近く、妙に明るい夜で、どことなく神秘的な雰囲気が漂っていた。
羊文學が持つ空気感と、その時の情景がシンクロした奇妙な瞬間であった。
今この曲を聴き返してみても神秘的な不思議な感じのする曲だなぁ、と感じるが、必ずあの時の情景や空気感がセットになっていることに気付く。
月ヶ瀬は梅林で有名なところで、毎年春先には見事な花を咲かせるという。
次の春が来たら、梅の花を見に月ヶ瀬へドライブに行くのもいいかもしれない。
満月の夜、ランダム・プレイリストを流しながら。